Kodachrome
Good-bye Kodachrome
1935年、世界初のカラーリバーサルフィルムとしてコダック社から発売されたコダクロームには、並々ならぬ思いがあった。1970年代の私は、小型カメラを手に世界を巡るのが夢で、大学において初めて触れた4×5などの大型カメラを、欲しいと思ったことは一度もなかった。そのような時代に、大きく伸ばしてもクォーリティが落ちない35mmカラーフィルムの存在が気になるのは、当然であり、必然の結果だった。
8本の未露光コダクロームPKR
写真を始めた学生時代から「スタジオは地球だ」と決めていた。大学ではモノクロームのすべてをしっかりと叩き込まれたが、時代はカラー全盛を迎えている。そのなかでもコダクロームで撮られた写真は1味も2味も違って見えた。マグナムにカラー旋風を巻き起こしたErnst Haasやパリで活躍していたSteve Hiettの自分のイメージを大切に表現した写真に感動した。
あの美しいモノクロームの世界を創り出すJeanloup Sieffでさえ、「カラーであればコダクロームを使う」とインタビューで答えていたのだ。
それほど、世界中の小型カメラを使う写真家には、コダクロームの存在が不可欠なものだった。70年代後半、それまで評判の良かったコダクローム2は、もはや手にすることができず、コダクローム25とコダクローム64に変わっていた。テストにテストを重ねたが、現像時に色素カプラーを加える特殊な現像処理のため東京に送らねばならず、仕上がりを受け取るのに2週間近く待つこともある。結果、感度の低いコダクローム25の方を当時の私は気に入っていた。
卒業制作のため渡米した時は、モノクロームで撮るのか、カラーフィルムを使うか、決めてはいなかった。ただ,日本では見ることができない色、そしてその色の組み合わせなどに惹かれ「Color of the Wind」という気分だったのは間違いない。テストをしてコダクロームで撮った写真がいちばんテイストに合っていたのでカラーで勝負することにした。L.Aの専門ショップには、現像代込みコダクロームが置いたあったので、それを購入して西海岸を撮影して回った。30年前に撮ったその時の写真をここに一部を掲載しているが、退色に強いのが解ると思う。加えて「Color Trading」としてALBUMにまとめている。
コダクロームの粒状性、シャープネス、耐久性は、現在においても遜色はない。デジタルの趨勢に翻弄され、特異なアナログフィルムは淘汰されるのは仕方が無いにしても、残念としか言いようがない。ロットによってバラツキがあり、乳剤番号をチェックしながら当たりがでれば、できるだけ買い占め、冷蔵庫に保存していた時代が懐かしい。