Wife
COOLなアッコちゃんと呼ばれていた。
若かりし頃の家人である。1967年1月生まれ。当然、ビートルズは知らない。私の両親は10歳の年齢差を顧みず今では珍しくもない「デキちゃった婚」で結ばれた。望まれてかどうかは解らないけれど長男である私は1953年6月無事、この世に出ることできた。親の因果が関係しているのかワイフとは14歳、年が離れている。
両方とも雁ノ巣海岸で撮った写真。2008年4月1日には17年目の結婚記念日を迎える。3人の子供たちの世話をしながら病に倒れ闘病を続けている私をイヤな顔ひとつ見せず、身も心もケアしてくれている。堂本光一のライブがあるとき以外は。
良い塩梅にクールなのでこちらもいろいろな気を鎮めることができてうれしい。恥ずかしながらも本音で書き記しておくが、ただただ感謝するのみだ。
Pa&Ma
御両親に会って結婚を決意した。
30歳を過ぎても結婚などするつもりはなかった。できれば独身を続け、最期はビーチで夕陽を撮りながら野たれ死にするのが漠然とした希望だった。当時は「シャッターが切れなくなる年齢まで長生きなどしたくない」と生意気な考えに支配されていたが、そんな私が現在のワイフと初めて出会ったとき「もし私が結婚するならこの人しかいない」とつき合い始めた。そうしながらも頭のどこかで「結婚はヤバいぞ」と鳴り響く。「歳が離れているし、どうせ反対されるだろう」と気安く御両親に会ってみると、父親から「結婚日はいつにする?」といきなりの話。そうして勢いに乗り彼女と結婚した。
父とは話が合った。写真が趣味だったからだ。コンタックスをメインに使われていたけれど、ライカ使いの私の影響でライカにも通じていた。自由業、見栄を張れば自営業、の私だから誘いやすかったのか、あちこちのゴルフ場に連れて行ってもらった。おかげで上達してしまい現在のハンディは13。キャロウェイと自主契約するまでになってしまう。
惜しまれるのは1999年、先に冥土へ旅立つ。きっと素敵な場所を探してくれているであろう。
母は現在、孫たちばかりでなく自分の子供たち夫婦家庭の力強い味方になっている。実を言うとワイフより歳が近いので、若くとても元気なのだ。そして家人だけでなく母の存在がどれだけ私の生きる力になっているかは計り知れない。