Bali Pictuer
バリ島の細密絵画
1989年、初めてバリ島へ向かう。
家人との結婚はまだ執り行ってはいなかったが一緒にあちこちとでかけた。パリや香港で新しい年を向かえたこともある。要するにお互い旅好きだった理由だ。だが初めてのバリ島行きには少なからず驚かされた。グァムで乗り換え、コンチネンタル・エアーでバリ島に着いた時は夜になっていた。デンパサールの空港は船着き場のように小さく、しかも照明が暗い。ジェットから降りて預けた荷物を受け取りに向かうといい香りがする。ガラム(タバコ)とプルメリアの花の匂いが入り交じったものだった。
女性が一人、暇そうに座っているインフォメーションでホテルを探し予約を入れ、タクシーだというボロボロのワンボックスカーに乗る。窓外に見える町、着いたホテルも省エネをしているかのように暗い。当時のバリは、停電、繋がり難い電話回線など日常茶飯事だった。翌日早速マッシュルームをいただき「出発するには遅すぎる」とのアドバイスを無視して運転手と料金交渉後、タクシーとは名ばかりのボロ・ワンボックスカーでタナロット寺院へと夕陽を観に行った。着いた時はアドバイス通り、もはや真っ暗で誰1人いない。運転手の懐中電灯をたよりに寺院の前にいくと、僧侶が一人降りてきた。運転手が話をすると、締めた門扉の鍵を開け、寺院のなかを案内した後で、私たちのために祈りを捧げてくれた。感動に包まれながらクタに戻り気の良い運転手に過分なチップと明日の出迎え時間を約束して、ふらつきながらロブスターを食べにロータス・カフェに入る。感動のなかにいても腹は減る。
その店のウェイティング・バーで、隣に座り女性2人を侍らせているオージーズが私たちに声をかけてきた。「俺は建築家だ」という彼の眼を視ると飲み過ぎて焦点が合っていない。先ほどの感動余韻がまだ残っていて、早くこの場を立ち去りたかったが満席のテーブルはまだ空かない。その後、彼は名刺を差し出し、こう言いながら手渡してくれた。「ウブドに行けよ。今年できたばかりのアマンダリというたホテルは最高だぞ」名刺を見るとArchitectと印刷されている。その建築家のアドバイスに従い、翌朝、ウブドへそしてアマンダリへと向かう。
アマンダリのプールアマンダリは渓谷の上にある最高のロケーションとラグジュアリーさを兼ね備えた超高級ホテル。私たちはというと、隠れ家のような高級ホテルより、ウブドの村がとても気に入り小さなホテルを見つけて帰国するまで滞在することにした。
ウブドは芸術村とも呼ばれ、村の中心部近くにプリ・ルキサン美術館がある。じっくり見ていて最も気になったのが絵画だった。とても細密に描かれていて今にも動き出すような、否、いい絵は立体的でホントに動いている。そして村の通りにはいくつものギャラリーがある。
IWY.Terug 作
そのなかのネカ・ギャラリーで1枚の絵に魅入ってしまった。
IWY.Terugという作者のサインがあるマンディ(沐浴)をしている女性の絵。商売気がなさそうなマネージャーに価格を尋ねると$700という。バリ島ではバリ値段というのがあり、タクシーに乗るのにも価格交渉をしないといけない。それはそれで楽しめるが、鬱陶しい場合も当然ある。
早速、値引きを願い出ると「これは素晴らしい絵なので、値引きはまったくできない」と素っ気ない。絵を眺めながら悩んでいるとマネージャーはどこかに行ってしまった。翌日もでかけたが相変わらずの対応。明日は帰国という日にもう一度でかけ、愛想の無いマネージャーを呼びだしその旨を伝えると、こちらの本気度が伝わったのか交渉が始まった。価格はびっくりの$350まで話が進みOKを提示すると、急に笑顔満面となり緩慢な動作は一変して荷造りを始めた。とても幸せそうだった。そして私はそんなバリニーズの解りやすさが心地良かった。
安価だったがお気に入りの絵
帰国してから、あのガラムタバコとプルメリアの匂い、遠くに聞こえるガムランの音、幻想的な舞踊、霊の存在を感じる多くの寺院が頭の中で膨らみ錯綜して、3ヶ月の間に3回もバリ島へでかけてしまった。
現在のバリ島は、空港は近代的なものに立て代わり大きなホテルが建ち並ぶ。道路も整備され大型バスが観光客を乗せては、島のあちらこちらを観光地として案内している。ウブドにしてもインターネットカフェなどもあり驚かされる。もしバリに癒されたとしても、高級ホテルに滞在するだけでは本当の良さが解り難い島であることだけは間違いない。